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合気道と筋力Ⅰ [合気道の事など 1 雑文]

 合気道愛好者一般にとって最も忌避されている(!)話題であるところの、筋力についての考察であります。以前の記事で合気道に「余計」な力は要らないが必要な力はある、と云うようなことを記述しましたが、それを少し敷衍する文章であります。
 そも、体を動かす=骨運動を起こすと云うことは、意識するしないに関わらず筋肉の収縮と弛緩がなければ起こりえない現象であります。人体を構成する二百を越える骨を動かすために、五百を数える筋がシステマティックに働くことによって、我々は身体をある範囲において自在に動かすことが出来るのであります。この所与たる現象に異を唱える方はまず居ないでありましょう。
 合気道と云う運動(キネシス)が当たり前のこととして人体の営為である以上、この事実から逃れることは出来ません。であるならパワー(筋力×スピード)とその巧緻な使用に優れた者が、より高度な合気道のパフォーマンスを発揮出来る可能性があることは言を待ちません。合気道愛好者もやはり他の武道愛好家、スポーツ愛好家と同じく「筋」を鍛えなければならないのであります。一人合気道愛好者のみが「筋」に対する認識に傲慢なまま、或いは鈍いままで居たなら、多の中の一でしかない合気道は他の武道やスポーツの到達した、或いは到達するであろう運動性の高みを、遥か下の方から羨ましげに眺めるような結果になるやもしれません。
 パワー(主に筋力×スピード)を鍛えると、相手の力に逆らわないで技を施すところの合気道の特性から逸脱して、力に頼るような合気道になってしまうと云う指摘があります。これは人間の有する繊細な運動システムに対してあまりにも無理解な意見かも知れません。単純に考えても、元々ない力は出しようもありませんが、有る力を出さないようにすることは可能なのであります。また相手に逆らわないで技を施すとは云うものの、その相手と云うのが相対的な関係の中では千変万化に動く相手でありますから、いちいちその変化に逆らわないで技を繰り出そうとすれば、これはもう忙しくて叶いません。相手の力に逆らわないと云うのは実は関係の中で動きを主導するのは此方であって、動く相手に此方が合わせるのではなく、此方の動きに相手が合わせざるを得ないような関係を構築することであります。これは「後の先」と云う考えと深く関係するもので、筋力に関する考察を主眼とするこの項では差し当たりこれ以上の深入りは避けます。
 合気道はさしたる力を必要としない武道で、老若男女誰にでも出来ると云う合気道の紹介文もよく見受けます。確かに合気道に長けた者には筋力をさして使っているような気はしないのでありましょうし、十の力でぶつかってくる相手を十の力で受け止めるような技法は合気道には存在しません。しかしそれは合気道に限ったことではなく、自分よりも体格体力に優れた者に拮抗するための術として「技」と云う概念が発生するのでありますから、これはあらゆる武道が標榜するところであります。また「武道」と云うものが存在する意味であります。ですから、或いは、であるなら、その「技」を支えるための筋力は要るのであります。合気道を始めた当初は非力でもいいでしょうが、長年修練を積んでもまだ非力なままで好いと云うことではありません。その間に合気道に必要とされる筋力が充分に養成されていなければ「技」の精度や強さは保証されないでありましょう。
(続)
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