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合気道南多摩倶楽部の展開 [合気道の事など 1 雑文]

 先ずは開かれた稽古場を確保したいと云うことで、府中市の総合体育館の空き時間を調べたところ、水曜日の夜と土曜日の午前の時間が適当かと云うことになりました。毎週定期的にこの時間帯を押さえるのは、当初予算の都合で無理であったので、土曜日の午前を優先的に確保して、余裕があれば水曜日の夜も使うと云う感じでした。千田務先生には月に一度お出で頂いて稽古をつけて頂きました。それでも予算は限られていたし初期の頃は赤字が当たり前の活動でありました。
 当時の東芝は土曜日出社の日があって、時には拙生一人しか稽古場に居ないと云う時もありましたが、そう云う場合は剣と杖を振り回して一時間半を過ごすこともあったのであります。ただ稽古後に体育館に使用人数を報告するのでありますが「一名です」と云う時の敗北感と云うのか、その遣る瀬なさは今でも思い出すと気持ちが萎えるようであります。体育館に来たら稽古場を覘いて、一人でも会員が居れば拙生としては密かにほっと胸を撫でおろすのでありました。四名も居れば、それはもう拙生は有頂天であります。
 平成七年の十一月二三日に千田先生にお出で頂き、新入会者確保のための講習会を開催しましたが、これには当時の養神館本部の事務長でいらしたI嵐さんも、人が集まるかどうかと心配されて当日態々体育館までお見えになったのであります。明治学院大学の学生諸君や当時内弟子だったF君なども応援に来てくれて、まあ、拙生の努力不足でさして一般の方はお見えにならなかったのですが、この時参加された方二名がその後入会されました。それに不思議なものでこの講習会を境に、亀の歩みと云うと亀がせせら笑うくらいの遅々たる速度ではありますが、入会者がぽつりぽつりと集まるようになったのであります。
 この時入会されたWさんは年齢が七十二歳で、この歳になって始めて大丈夫かしらと入会後も大いに心配されていましたが、なんのなんの、毎朝負荷を背負って十キロメートルくらいをジョギングされるような方で、ゴルフや山歩きなどを趣味とされているのでありますから、充分に合気道の稽古にも耐え、翌年の演武大会で壮年者演武に出場されて見事に奨励賞を獲得されたのでありました。今はもう合気道から遠ざかっておられますが、まだ年賀状のやりとりは続いており、それによるとジョギングは今も続けていらっしゃるとのこと。拙生脱帽の後、最敬礼であります。
 次第に入会者が増え始めると、今度は初期から居た東芝の社員の方達が次第に稽古に顔を見せなくなるのでありました。一人去り二人去り、ついには倶楽部立ち上げ当初からの盟友であるK氏も体調やその他の理由により姿を見せなくなってしまいました。今は当時の生き残りは一名のみであります。
 とまれ、こうして南多摩倶楽部は次第にその面容を変えつつも活動を続けてきました。平成十六年からは多摩市の総合体育館でも稽古を開始し、少年部も創設して、総勢五十名の団体になりました。平成二十年からは長年お世話になった合気道養神館から止むをえぬ事情により離れて、千田先生の合気道錬身会に所属して活動を継続しております。
 この合気道錬身会とは、やはり止むをえぬ事情から養神館から独立された千田先生と、先生を慕い、長年その薫陶を受けた団体や個人で創始した、千田先生の合気道を学ぶための団体であります。千田先生の合気道を通して養神館合気道創始者である塩田剛三先生の教えを真摯に追求することがこの団体の目的であります。これからの南多摩倶楽部は合気道錬身会と伴に新しい合気道界の歴史を創る気概を持って、これまで以上に直向きに合気道と云う体系に誠実に歩を前に進めていくでありましょう。
(了)
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