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合気道南多摩倶楽部の立ち上げ [合気道の事など 1 雑文]

 当時の新宿道場での稽古仲間であったKさんと話しをていたら、東芝府中工場の体育館は柔道場があるにはあるが、あまり使われてはいないと云うことでありました。Kさんは東芝の社員でその頃府中工場横にあった東芝の寮に住まわれていました。せっかくの畳のある稽古場を使わない手はないと云うことで、Kさんのお骨折りで、その柔道場で合気道の稽古をすることになったのであります。
 まずは千田務先生をお招きして、後輩になるH君とS君に手伝ってもらって、Kさんの同僚の方約三十名を対象にデモンストレーションを兼ねた講習会を開くことになったのであります。合気道がどう云うものか殆んど知らない人、昔少々齧った人と様々な人に養神館合気道の基本動作、二ヶ条、三ヶ条、四ヶ条、小手返し等を危険のない範囲で体験してもらったり、千田先生に個別の技や自由技、それに三人取り等を演武していただき大変好評を得たのでありました。こうして定期的に稽古を実施する下地が出来て、約十五名程度で火曜日の終業後に件の柔道場で合気道の稽古を行うようになったのであります。
 Kさんの、稽古着を態々購入することにすると皆来なくなるのではないかと云う危惧もあって、当初は体操服での気楽な稽古でありました。気楽な分、やはり稽古に今ひとつ締まりがなく、拙生としてはなにやらこのままの雰囲気で定期稽古を続けても、結局先細りに終わるのではないかと云う思いがありました。それでタイミングを見て、なるべく早く皆さんに稽古着の購入をお願いすることにしたのでありますが、成る程Kさんの危惧の通り稽古に参加される方が六名程に減ってしまいました。拙生としては残念ではありますが、これも将来のことを考えれば致し方なしであると思うのでありました。
 合気道を稽古するとこは、云わば日本に独特に発生した武道と云うものの歴史性を身をもって学ぶと云うことに他ならないのであり、単なるスカッと爽やか汗かき運動とか、武技の手足抹消の技術修得プログラムを消化することだけではなく、云わば文化性のある営為であると気負っていた時期でもありますから、拙生としては合気道を学ぶためには文化としての稽古着の着用がまずもっての前提条件であると考えていたのであります。今も基本的には稽古着の着用を含めてこの考え方に変更はありませんが、ま、合気道を学ぶ動機は人夫々で自由でありますから、取り掛かりはなんでもよろしいと考えております。健康、礼儀、リフレッシュ、稽古後の宴会等々、とりあえず合気道に興味を持って頂ければ、まずはよしであると思います。しかしいつまでもそれだけでは合気道と云う巨大な体系総体の表層部分を上滑るだけで、いかにも勿体無い。それに武道としての合気道、文化としての合気道そのものを学んだ結果として健康や礼儀等を手に入れることが出来るのだし、そういう稽古の後の充実感がリフレッシュに役立ち、稽古後の宴会をより楽しくするのではないでしょうか。ま、こう云う硬い話はこの文の主題ではないのでこれくらいにして。
 とまれ合気道を学ぶ環境が一定程度整ったのを機に、平成五年に養神館本部に同好会認可を頂いて、その名を養神館南多摩倶楽部とし千田先生にも定期指導をお願いしたのでありました。少ない人数で千田先生に合気道を指導して頂くのは、これはもう大変な贅沢であると考えていたのでありますが、養神館合気道の同好会認可を受けた以上は普及活動と云う側面も、重要な南多摩倶楽部の活動目的であります。よって東芝府中工場の中の体育館で閉じられた活動をしているのでは、とても普及と云う目的は達成出来ない環境なのであります。稽古参加人数も一桁に留まり、このままでは活動自体が停滞してくるのは避けられません。南多摩倶楽部は次の展開を試みる段階に入ったのであります。
(了)
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