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五十歩が百歩にもの申す [時々の随想など 雑文]

 そう云うわけで、ぼやきの言葉を一つ、のたくらせます。
 若い頃は徒食家として鳴らしたものであります。食っても食っても四時間経つと腹がへり、丼様の茶碗で三杯の飯を食らってもまだもの足りず、箸を置いたそばから四時間後の空腹を儚んで憂鬱になるのでありました。夜中に腹の減る悲痛はなににも増して耐え難く、インスタントラーメンの買い置きがなくなっていれば、どうにも堪らずに夜中に開いているラーメン屋か牛丼屋へ前のめりに猛進するのでありました。学生の一人暮らしを哀れに慮って、近くに住む仏様の慈悲の心を持った叔母が夕食に呼んでくれたことがありましたが、拙生の胃袋が広大無辺であることを知り、あきれ返って以後昼間しか呼んでくれなくなりました。それでも拙生もさる者、たんと昼飯をよばれてきはしましたが。
 さて、昨今徒食を売りものにする女性テレビタレントをよく見受けます。彼女達の徒食振りたるや拙生の比ではなく、丼三杯どころか丼十杯分をけろっとして腹に収める兵であります。可愛らしい顔に反して鬼のようなその健啖家振りは、成る程テレビ向けではあるのでしょう。大したものであります。
 しかし、拙生が云うのもなんですが、無邪気に笑って大食らいを誇るその姿は、なんとなく正視に耐えない様と映ってしまうのであります。彼女達の食欲は人間一人の範疇を超えています。本当なら他人が食うべき分まで己が腹に収めてしまった彼女達のご満悦振りは、実はしごく醜い態度ではないのかと思ってしまうのであります。それに満腹の緩んだ顔よりも、本当は空きっ腹のくせして腹足れる顔を装っている方が美しいと云う、古い美意識の中からまだ片足が抜けない拙生には、彼女達の達成感に溢れた笑顔をどのように見ればよいのかよく解らないのであります。
 出されたとてつもなく大量の食物を、あの手この手を使ってなんとか食いきろうと奮闘する画面も流れます。奇抜な涙ぐましいまでの彼女達の努力に、拙生としてはまったく共感出来ないのであります。徒食のために徒労するよりは、これ以上は食べませんと潔く一礼してくれる方が、どの位爽やかかと眉根を寄せて拙生はテレビを見ているのであります。かつての徒食家としてはこの手の番組に対して、どこか体を斜めにして恥じ入りながら苦々しく横目で窺うしか、本当はその対する術を持たないのではありますが。
 目糞が鼻糞を笑うのはいただけません。しかし五十歩が百歩にもの申すことについては、まだ理が残っているのではないでしょうか。自分の五十歩を恥じ入り過ぎて、百歩に一言ももの申せないのでは、孟子さんにはまことに済まないでことではありますが、後の五十歩逃げるのを思いとどまった甲斐がないではありませんか。・・・いや違うかな。
(了)
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