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その犬の思い出Ⅴ [散歩、旅行など 雑文]

 エリザベス・M・トーマス著『犬たちの隠された生活』(深町眞理子訳、草思社刊)によれば、二歳の飼い犬が二百から五百平方マイルのテリトリーを展開している事実が報告されています。当然個体差はあるにしろ、犬と云う生き物はとてつもなく広大な領域を移動し、もとの位置に戻ってこれる生き物のようであります。信濃路のあの犬はノラ犬かも知れませんので、実は想像するよりはるかに広域な縄張りを持っていたのかもしれません。
 となると、別所温泉からなんだかんだで寄り道しても二十キロメートルに満たない散策コースなど、彼にとっては家の庭を散歩するような感覚でありましょうか。どこまでも我々についてくると拙生が考えたのは、つまり彼が自分のテリトリーを越えて自分達についてきているのだと勘違いした、犬なるものの生態を知らないための感情移入以外ではなかったと云うことであります。彼にとってはごく日常的な移動であって、貧乏臭い二人連れを見込んでその後をついて旅に出たのでは、決してなかったのでありましょう。
 ああ、ここで断っておくのでありますが、便宜上あの犬を「彼」と云ってはおりますがひょっとしたら「彼女」であったかもしれません。まあ、そんなことはどうでもいいか。
 彼が自分のホームタウンを棄てて我々についてこようとしていると勘違いした我々には、当然のこととしていったいなんのために彼がそうしているのかまったく理解出来ません。こっちの承諾もなしになにを勝手なと云うある種の薄気味悪さもありはするのですが、しかしなんとなく健気にも思えて、彼の意図は知れないながらも邪険に追い払おうなどとはしないのでありました。別の犬に吠え立てられてほうほうの態で拙生の股座に逃げ込んできた後は尚のこと、なんとなく頼りにされているようで拙生としても更々迷惑でなどなかったのであります。
 しかし今考えても単なる彼の日常的な移動と云うだけなら、我々の寄り道に律儀に付きあってくれることはなかったのであります。中禅寺でも龍光院でも前山寺でも、我々を置いて勝手に先を急げばよかったものを、彼はどうして我々を待っていて我々と同行しようとしたのでありましょう。他に食い物をくれる可能性の高い人達や、もっと彼に対してフレンドリーな人達ではなく、よりによっていかさない風体の貧乏臭い二人連れと。まあ、結局信濃デッサン館で見限ってくれはしましたが。
 これも犬の行動学とか生態とかで説明出来なくはないのでしょう。しかしまたなんとなく、もっと情緒的なところであの犬の心持を解釈したいような気分もするのであります。人に勝手についてくる犬も困ったものですが、相変わらず犬を擬人化してこれも勝手に感情移入したがる人間も、まあ、困ったものでありますかな。
(了)
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